空気を読む

今回、弘志が送ってきた文章を
僕がアレンジして、校正して
一冊の本にしました。
一話完結のお話の盛り合わせみたいな
本で多くはカンボジアと日本の違いに
ついて面白おかしく書いてます。
でも、中には真面目な部分もあって
彼と僕の考えが融合した記事の抜粋を↓
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今どきの日本人は「空気を読む」という言葉を、どちらかというとポジティブなスキルのように思ってる節がある。「お前、空気読めよ〜」とか「空気読めればあそこであんな発言出来るわけないっしょ!」なんて感じで。
空気だよ。
目に見えない空気を読む?
風船だって空気を入れ続けると破裂してしまうように、見えない空気ばかり読んで、吸い込んでいたら、人間だって爆発しちゃうんじゃない?もしかしたら空気が入りすぎている日本という国から県へ、市へ、町へ、そしてあなたのもとへ、どんどん入りすぎてる空気が押し寄せてるとしたら、その空気に押しつぶされてしまうイメージが湧きませんか?
お正月にバラエティ番組でアイドルたちが空気をどんどん入れて大きく膨らむ風船を順番に渡しながら答えていくクイズのように、もしかしたら空気の入りすぎた風船をどんどん手渡しして行くうちに、みんなの手元に大きく膨らんだ風船が今にも破裂しそうな状態で持たれてるのかもって思える。目に見えない空気なのだから。
空気は目に見えない、そして見えない空気を読もうとする行動は、心を見えない空気で満たそうとしてる自滅行為に近いように思えたりもする。静かに貯蓄されて行く空気は、気づかないうちに自分自身が動けるスペースさえもなくなるほどにギチギチに膨らんだ風船のように逃げ場がなくなり、どうしようもなくなって自分の心が壊れちゃう。
案外鬱だとかノイローゼの原因はこんなところにあるのかも。
イメージしてほしい。
呼吸だって見えない空気を吸うだけでなく、胸いっぱいに吸い込んだらフーッと勢いよく息を吐くから呼吸。だから、少しでも空気を読んで吸って膨らんでしまったのならば、空気を吐く必要がある。
そこでイメージが必要になる。
入れたものを吐き出す場が必要だと思う。それは人それぞれで、インスタだったり、ブログだったり、音楽だったり、なんでもいい。要は自分が楽しければ。
では、自分にとって楽しむとは、何なのか?簡単なようで意外に難しくて、自分が心から楽しめる事は、本気で探さないと見つからない。もし、あなたが今、空気を読む環境に、読まないといけない環境にいるとしたら、どんどん身体に毒素が溜まる一方なので、1秒でも早く吐く必要がある。毒素の吐き場所の環境を作らないと行けない。
その場所の絶対条件は「空気を読まなくて良い」ということ。よくある話なのだが、せっかく吐く場所として作ったはずのSNSなどの場で、やっぱり空気を読む癖が取れないのか、空気を読むようなコミニティに属していた方が楽なのかは知らないが、そんな場所でも「空気を読みまくる」人がいるのだが、そんなことしてストレス溜めても意味ないのですぐにやめた方が良い。体のためにも心のためにも。
……
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「変なカンボジア本 物事の見方を楽しむとは? 壱の巻」 品川 弘志
〜「空気を読む」から〜
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かなり僕っぽい表現や考え方も加えて
弘志の原文をアレンジしました。
自分で書いて言うのもなんだけど
僕たち日本人って空気読みすぎだと思わない?
もっと「自分」を優先しても良くない?
これ素直な気持ちです。
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