拡散って言葉をキチンと考えてみる
『拡散』って言葉、よく聞きますね。
twitterやSNSで拡散したアホな画像の
せいでバイト先の悪事がバレて、
みんなに叩かれて…とか一昔前に
ありましたね。ブログでもたまに
『拡散希望』などの文字を
見ることがあります。
まぁ、これはネットの特性を最大限に
利用して、ある情報をみんなに
知ってもらいたい、という『善意』からの
発信がほとんとで僕も何度か
『へぇそうなんだ。よし僕も!』と
ブログ記事にしたこともあります。
ネットではないけど、最近政治家の方々が
首からプラカードを下げて
『#me too』なんてのもよく見ます。
セクハラに対しての抗議の気持ちを
込めるのと、情報を共有することで、
被害者を孤独にさせず
私も一緒だよ
って気持ちから出たのが始めなのかと
想像できます。
それはよくわかります
が
あれ見てて、違和感というか、嫌な感じって
思ってしまうのは僕だけなのかな?
セクハラに対してみんなで声を上げてとか
被害者を一人にしないでとか
女性の地位向上を根本から考えるとか
それはよく分かるけど、なぜか
寄ってたかって、ここぞとばかりに
大騒ぎに便乗してるように
見えてしまうのは僕だけだろうか?
『拡散』などの、もともとは
善意から始まったことでも、
受け取る側にとっては、ありがた迷惑
だったり、必要のない情報の押し売りに
感じてしまうこともあります。
さらに
『拡散』って言葉を読んで字のごとく
拡がって散っていく様です。
その拡がった先では、本来のその情報の
確かさを調べたりせず、そのまま
リツイートして、後から青ざめる
なんてこともよく聞きます。
ネットの中で、拡がって散って行くうちに
訳の分からない、余計な装飾がたくさん付き
本当の中身が見えなくなっちゃう可能性も
結構あるみたいですから。
少なくとも、ファッションで
『#me too』とか書かれたTシャツは
着たりしない方が良いと思うけどね。
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