実は見えていないのかも
キチンと見ているようで、実は僕らの目は
何も見えてないのかもしれません。
例えば、写真って全部の風景から
撮りたいもの
表現したいもの
伝えたいものを
『切り取って』表現するもの。
では、見える風景って『全部』が見えて
いるのでしょうか?
例えばこんな経験無いですか?
『我が家のリフォームを』と考えていた頃
営業でお伺いするお客様のお宅で壁紙や
フローリングばかりを見ていた時期が
ありました。
『あっ!この壁紙、良いかも』
『こういうフローリングってゴミが目立つ』
とか、それまで、気にしたことも無かった
のに気になりはじめたら、そればかりに
視線が行ってしまったり。
もう一つ、例えば
嫁さんが妊娠していた時、スーパーで
買い物に嫁さんと一緒に行くと、やたら
妊婦さんを見かけ、小さな赤ちゃんを
抱いたお母さんを見かけたりしました。
それだって僕の目の前に妊婦さんが
急増したわけでなく、普段気にならない時は
見えているのに気づいていない
という状態だったのだと思います。
そう考えると自分の目で見ているものなんて
見たいものを見て、それ以外の情報を
切り捨てているのかも。

出典http://goo.gl/NLn1Qs
カメラアイってご存知?
パッと見た瞬間に全ての情報を記憶する
ことが出来る特殊能力を持った人のこと。
時刻表や新聞でもパッ見ただけで、文字も
配列も画像も全てを『カメラ』でパシャっと
撮影したかのように記憶できるのだそう。
裸の大将、山下清画伯は優秀なカメラアイの
持ち主だったのだと言われています。
旅先で見てきた風景や情景を事細かに記憶
していて、まるでカメラで撮ったかのように
記憶していたそうです。
ちょっと話は逸れてしまいましたが
凡人の僕には、とても信じられないような
能力ですが、そんな能力を持ち合わせて
いないことが逆に幸せなのかも、なんて
思えたりもします。
全体を事細かに全てを記憶してしまうって
すごく疲れそうじゃ無いですか?
僕たちは見たいものを見て、記憶しなくて
いい情報は無意識で切り捨てているからこそ
忘れられないような思い出や
ずっと心の中に刻み込まれた風景を
覚えていることが出来るのかもしれません。
ただ、注意したいのは
自分の見たいものだけを見て
見たく無いものに蓋をする
ような事ばかりをしていると、モノの本質を
見誤る危険が潜んでいます。
自分が見えている景色が全てではない
一歩下がって、引いた状態から全体を眺める
ということも必要なこと。
自分の見方が絶対で、それ以外は認めない
というような凝り固まった固定観念は
生きていくのに邪魔だったりすることも。
柔軟に『自分の見えてる風景』に疑問を
持つことも必要で、そうすることで
全く違うものが見えてきて、状況を
一変させる打開策を思いついたり
することもあるかもしれませんよ(^.^)
見方の一つとして
こんな視点はどうですか?
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